自衛隊は憲法違反なのか

 

 

自衛隊員たちに、『君たちは憲法違反かもしれないが、何かあれば命をはってくれ』と言うのは、あまりにも無責任であります」

 

2018年1月の国会。
いつものように下を見てひたすら原稿を読み上げていた安倍首相がこの部分だけ珍しく前を向いた。やや気色ばんだ口調だった。

 

「君たちは憲法違反かもしれない」

 

自衛「隊員」に向かってそんなことを言ったのは安倍首相が初めてなんじゃないだろうか。しかも国権の最高機関である国会の壇上で。

 

これだけでもこの首相の態度は自衛隊員に対して無礼極まりないことをまずは指摘しておく。

 

そして「命をはれ」とは何事か。

もしひとりひとりの隊員がそういう心持ちで任務に当たってくれているのだとしたらこれは頭の下がる思いではある。それは各々が心の中に持つことで誰からも強要されるべきではない。

 

自衛隊を指揮する政府の役割は隊員が無事に任務を果たせるようにすることのはず。
それなのにあろうことか政府の最高責任者たる内閣総理大臣が「命をはれ」とは。暴言が過ぎる。先の戦争で安全な場所から部下に特攻を命じた上官と同じだ。この言葉そのものが無責任の極み。

 

さらにここに至るまでの経緯、つまり今の内閣が戦後一貫して違憲とされてきた「集団的自衛権」を憲法解釈を180°翻して合憲としてしまったことを踏まえれば、この内閣によるいわゆる「9条加憲」=「自衛隊」を国の安全保障体制を謳った「憲法9条」に明記するということは自衛隊員全員の生命を危険に晒すことに他ならず、到底看過できない。

 

安倍晋三という人間は自衛隊員の安全、生命を一体なんだと思っているのか。

 

憲法9条には
「武力による威嚇または武力の行使は国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する」
「前項の目的達成のために陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権はこれを認めない」
と記載されている。

 

これは「武器を持つ組織は憲法違反だ」とかいう単純な話じゃない。
それなら拳銃を持ってる警察は憲法違反なのかって話になる。
そうじゃなくて。
自衛隊の装備は他国の軍備に匹敵するもので、使い方によっては他国と交戦することだってできるところが「違憲なんじゃないの?」と言われる所以だ。
でも現実問題として自国の防衛装備は持っておくべきというところもある。
だから憲法違反にならないために「専守防衛」というところに線を引いて、武装の目的を「自国の防衛」いわゆる「個別的自衛権」に限定している。これは「武力による威嚇または武力の行使」にあたらないので自衛隊の装備は自衛隊が国内にいて海外の軍隊を相手に武器を使用しない限りにおいては憲法違反にならない、という解釈だ。
でも装備を外に持ち出したらダメだよ、まして海外で使ったらダメだよ、というのが今の憲法下での自衛隊の軍事的な面での制約事項だ。

 

この「制約」から外れれば「憲法違反」となるが、それは「自衛隊の指揮系統=内閣」に向けられる言葉であって「自衛隊員」に向けられるものではない。

 

冒頭の発言は今の内閣総理大臣はそういうごくごく基本的なところでとんでもない勘違いをしていることの証左だ。
憲法」は自衛隊の最高指揮官であるあなたへの縛りであり、「違憲」はその縛りを逸脱しようとした時にあなたに向けられる言葉なのだ。

 

違憲の線引き」というのは実は固定されたものではなく、時代とともに少しずつ変わってきた。
1950年に警察予備隊ができた時は「武装組織」の存在そのものが「合憲違憲」の争点だった。
米ソの代理戦争が起こった時には「専守防衛」を盾に海外派兵は決してしなかったが、国内にある基地を提供することが「戦争協力」だとして「合憲違憲」の争点になった。
昨今はイラク戦争PKOで「派遣」「派兵」の言葉遊びが始まり、安保法制で更にこの線があやふやになってしまっているが、昔も今も「海外での武力威嚇・行使は許さない」とする現憲法は、常に自衛隊が「軍」と化すことへの一貫した歯止めになっている。

 

しかし現憲法下で違憲の嫌疑が拭えない集団的自衛権を認めた安保法制がある中で自衛隊の「軍」としての存在を憲法9条に明記してしまえば集団的自衛権は名実共に「合憲」になり「武装して海外に出る」というこれまで絶対に許されなかった行為にお墨付きを与えることになる。そうなれば自衛隊員の安全、生命に係るリスクはこれまでと比較にならないくらい大きくなる。

 

1957年2月、防衛大学の第1回卒業式で当時の首相・吉田茂はこう訓示した。
『君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、歓迎されることなく自衛隊を終わるかもしれない。きっと非難とか叱咤ばかりの一生かもしれない。御苦労だと思う。
しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。言葉を換えれば、君達が日陰者である時のほうが、国民や日本は幸せなのだ。どうか、耐えてもらいたい』

 

自然災害は避けられない。

いざ起こってしまった時に災難救助にあたってくれる自衛隊には被災者であろうがなかろうが誰もが感謝している。被災地に赴いて昼夜を問わずそれこそ「命を張って」救助活動をしてくれる自衛隊員にはただただ感謝しか無い。当然だ。

まして「君たちは憲法違反かもしれない」などと言えるはずがない。

 

しかし国家間の武力衝突は人間どうしの力で避けることができる。
そして「国家間の問題は決して軍事力に頼らず解決する」というのが今の日本の憲法なわけで。

 

素晴らしいことじゃないか。

 

ところがその憲法自衛隊を明記して集団的自衛権にお墨付きを与えてしまえばそれを行使した途端に外に「敵」を作ることになる。

 

戦後70年の努力は水の泡。

 

今の日本はかつてのように自ら率先して戦争に首を突っ込むことはおそらくしないと思うが、米国に帯同して戦争に参加させられる可能性は大いにある。
戦後わずか5年での警察予備隊の創設に始まったこの国の「安全保障体制」は日米安保にせよ沖縄の基地割譲にせよPKOにせよ安保法制にせよ実質的には「米国のアジア戦略の一環」でしかなく、そこに日本の国家としての主体性が存在したことなど1度もない。このまま「武力行使違憲」のタガが緩んでしまったら世界のあちこちの紛争に介入している米軍と一蓮托生で行動することになるというのは想像に難くない。

 

そんな「戦場」に自衛隊の人たちを送り込んで平気な人間の気が知れない。
自分さえ安全なら自衛隊の人たちがどんな酷い目にあってもいいのか。

 

そんなことは絶対に許されない。